文化をつくっている自覚もなく交わされる、なんてことのない立ち話ひとつから文化ができてゆく
自然に近い場所を希望して、重要伝統的建築物群保存地区である木曽平沢を中心に滞在したオーハラユーコさんは、今回ホストとなった「日々別荘」の近藤沙紀さんのほかにも、多くの地域住民と交流を図った。
塩尻市のなかでも、とくに人と人の距離が近い木曽平沢に滞在したことで知ったこととは。
(大原さん)塩尻には2020年に約2週間、2021年に約2ヶ月半と滞在しました。前回は地域に伝わる民話を知ることと、廃材を使って絵を描くことの2つがキーワードで、木曽平沢では近藤沙紀さんのローカルネットワークを頼って、地域の方々とつなげていただき、お話を聞いたり廃材の入手と加工をしたりしました。
さらにスナバのつながりから、役目を終えたブドウの搾りかすを譲っていただこうとワイナリーを訪れ、その搾りかすからブラウン、グリーン、パープルとじゅうぶんな色を出すことができました。
グリーンは搾りかすを煮る際に、水筒に入れていた山の湧水を使ったことで偶然に出た色です。湧水に多く含まれるミネラルかなにかが作用したんでしょうね。
今回はなるべく外からではなく内からの視点になれるよう、困りごとがあれば近藤さんやスナバチームに助けてもらいながらも、地元に馴染むことに重きを置いてわりと自由に過ごしました。土地勘もついてきていたし、とにかくふらふらと木曽平沢を散歩して、地元のかたとなんてことのない会話を重ね、成り行きに任せるようにしていました。
―― 暮らしに馴染んでいくなかで、なにを見つけようとされていたのでしょう?
(大原さん)前回、文化とは日々の小さなことから成っていると気づけたことが、わたしにとって大きな発見でした。
書物を読んだり取材したりして、出来上がった文化の表層的な面から深掘りして民話の背景について調べていこうとしていたけど、結局は、民話も人の噂話に尾ひれがついてオーバーになったり、親が子どもに伝えたい教訓のためにつくり出した話だったりするんですよね。
今回は文化が出来上がるもっと以前の、文化をつくっている自覚もなく交わされる、なんてことのない立ち話ひとつから文化ができてゆくことを、日常生活で感じていました。
―― オーハラさんから見た木曽平沢の人たちはどんなかたですか?
(大原さん)人を受け入れる大らかさのある、ギチギチで生きていない余白を感じますね。
これまでわたしは人間関係もある程度自分で選び取れる環境にいましたけど、平沢では仕事の取引先が親戚であり、同級生であり、友人であり、ライバルともとれるような近さゆえに、お互いの嫌なところも赦し合う関係にある気がして。
またそうならざるを得なかったんだとも想像できます。そこにあるものを受け入れる強さと難しさを感じた一方で、移住者も地元民も問わず人同士が近いからこそ、なにかしたいと思ったときすぐにつながることができる良さに、滞在中は何度も助けてもらいました。
―― 距離感の近さならではかもしれませんね。
(大原さん)コロナの流行によって人と直接しゃべる機会が減って、それまでぽろぽろと外に出せていたもの出しどころがなくて、わたし自身、心と体のバランスが揺らぐことがあったんです。それもある意味いまの日常、いまの文化の一部と言えるけど、暮らす場所が変わったらどうなるか気になりました。
今回は作品をつくる過程に自分以外の手が入って欲しくて、箱と紙と水溶性のペンを用意して、「中身は誰も見ないので、なにか溜めていること、ふだん言いにくいこと、本当はやりたかった希望や悲しみ、なんでも紙に書いて箱に入れてください」と、地元の皆さんにも協力いただき紙くず集めをしてみました。
若い世代はすんなりと受け入れて書いていましたけど、ご高齢のかたは「よくわからない」という反応でしたね。そんなものを集めてどうするのかと怪しまれもしました(笑)。
ときには疎ましく思うこともある程度赦されるような、なんとも言えない間柄で、日頃から感情を表に出せているからなのかもしれないと受け取りました。
さまざまな反応を含めて、なにかよくわからない人がまちに来て、なにかよくわからないけどおしゃべりするぶんには楽しいって、そのくらいの理解でもいいのかなと思いました。
―― そことつながっていくのかもしれませんが、オーハラさんにとってアートとはどのようなものですか?
(大原さん)わたしにとっては本当に日常のなんでもないこと。だけど楽しくて、ちょっと心がほぐれるというか。
ときには難しくてわからなかったことも噛み砕かれて、ほぐされて、ふわっと広がったりする。そういうきっかけである気がします。
アートは美術館に行って見るものだと思ってきた人が、この塩尻アーティスト・イン・レジデンスにどう反応するかというおもしろさもありますよね。また来年以降も引き続き、植物を採集して自然から出た色をどう活かせるか、画材研究もつづけたいです。
―― ブドウ以外にも集めた植物はありますか?
(大原さん)藍の生葉染めで余った染料を使って制作してみましたが、色素が薄かったのか1ヶ月、2ヶ月と時間が経つに連れて色が薄く、というかほぼ消えてしまいました。
―― それはそれで生き物のようでおもしろいですね。
(大原さん)そうなんですよ。時間が経って変わるものが好きです。
いまは普遍的で、ピカピカで、ツルツルで、完璧で崩れずに残ることが前提みたいなものが多いし、人間にも求められがちじゃないですか。みんな健康で、バリバリ働いて、ちゃんとしているのが当たり前で。
だけど人間にも波があるし、褪せていくし、崩れていくし、逆にできないことももっと増えるからこそ見えるものがある。そういうのが好きですね。
紙くず集めのときに、ためしに植物のタネを入れたかたがいて、紙が乾く数日間のうちでタネから芽が出たんですよ。紙のくずが持っていた水分だけで発芽したなんてすごいですよね。
そのあと枯れちゃいましたけど。できあがった紙もすごく小さいので、大切に考えながら絵を描こうと思います。
木曽平沢の皆さんとたくさん話して感じたことなど日々書き留めていたので、そこから出てきた言葉も合わせて展示したいと思っています。関わってくれた皆さんにも見てもらえたら嬉しいですね。
これから作品をつくる上で、文化は日常だ、という視点がわたしに与えた影響はすごく大きくて。
すごく飛び出ている部分や、とくに色濃くなった部分が、最後に文化として残ると思うんですけど、それらが引き立つために消えるものもいっぱいあって、現在進行形で関われば消えていくものも見ていることができるし、それらを含めた全体を文化として見ることでアートになればいいなと、そう考えるようになりました。
たくさんの体験をさせてくれた塩尻には、今後レジデンス以外でも継続して遊びに来ると思います。
▼交流した地域の人:
(取材・構成/岸本 麻衣)